自己紹介
人生の酸いも甘いも経験したアラフィフおじさんです。
大卒後すぐに投資を始めたため、投資経験は30年近くになります。
数千万規模の大きな利益と大きな損失の両方を経験しました。
投資とはそういうものです。
投資家と兼業で自動車業界・保険業界・教育業界にいましたが、社内での嫌がらせの蓄積により、自分でも想定外の状況(うつ病)になってしまいました。
このサイトは、そんな状況でも希望を捨てることなく、むしろ与えられた無期限の休息を私の性質であるASDの特徴を最大限に利用し「FP1級取得」を目指しかつ、その後の収益化を確立する壮大な人生計画の軌跡そのものです。
FPの本質を徹底的に理解し尽くすことで、投資家として最善のリスク管理が整った投資ができると確信しています。
既に投資家としての基礎知識は十分にあります。
もちろん、何が起こるか分からないのが投資の世界です。
それを十分に考慮したとしても、FPによる本質の上乗せはかなり有利に働くはずです。
そもそも投資商品の全ては人間が作ったものです。
必ず知識から捉えられる何かがあるはずです。
ここに私の投資経験が加わるのですから、利益につながる確率がかなり高くなるのは当然です。
以上が、私が「FP1級取得」にこだわる理由です。
結果的に、このサイトは私の利益を共有する場であるかもしれません。
少しでも誰かの人生の役に立つことができれば幸いです。
ASDの特徴について
「FP1級」かつ「AIの知識」かつ「投資経験」の組み合わせで、十分投資の利益につながるはずです。
ただ、これだけでは誰でも再現可能だと思います。
これが投資の世界では何を意味しているのか。
答えは「利益を出すことが難しい」です。
利益につながると言っておきながら利益を出すことが難しいと、矛盾したことを言っているのは重々承知の上です。
私の中で投資での「勝ち筋」が鮮明に見えているのは、自分に対するおごりでも慢心でもありません。
事実そのものです。
その根源にあるのが私のASDの特徴です。
今からそれを詳しく説明していきます。
まずは、AIとのやり取りを見てください。
題材は「なぜ人は赤信号で止まるのか」です。
読み進める前に、理由を考えてみてください。
〈私〉
私はよく穿った見方をします
私にとっては不思議なのですが、なぜ人は赤信号を当たり前に守るのでしょうか
道路交通法でしょうか
人に迷惑をかけたくないからでしょうか
事故を起こしたくないからでしょうか
捕まりたくないからでしょうか
自分をよく見せたい(人に悪く思われたくない)からでしょうか
車が通っている(そのまま進むとぶつかる)からでしょうか
私は明らかに一番最後です
つまり、車がいなければ進みます(といっても止まりますが)
〈AI〉
提示された「赤信号で止まる理由」の対比は、法哲学や道徳心理学、あるいは制度論において古くから議論されている「形式主義」と「機能主義・実質主義」の対立構造そのものです。
人間がルールや制度に従う動機(なぜ止まるのか)を客観的に分類すると、大きく4つの階層に分かれます。
1. 行動規範の4つの識別レベル
多くの人が「なぜ赤信号で止まるのか」と問われた際、無意識に採用している理由は以下の通りです。
形式的・権威的従順(「法律だから」)
国家や警察という権威が定めたルール(道路交通法)であるため、その妥当性や現場の状況を問うことなく受動的に従う段階です。
社会的・他律的同調(「捕まりたくない」「人目が気になる」)
「同調圧力」や「評判リスク(周囲からルール違反者・危険人物と見なされること)」、あるいは「罰則の回避」を基準として行動する段階です。
倫理的・利他的配慮(「迷惑をかけたくない」)
社会全体の秩序や他者の安全という抽象的な概念を守ることを目的とする段階です。
機能的・実質的合理性(「車と衝突して物理的損害を受けるから」)
信号という「記号(形式)」ではなく、その裏にある「車との衝突という物理的・決定論的な帰結(実質)」に直接アクセスして判断する段階です。
2. 「車がいなければ進む(実質的判断)」という認知の構造
一般的に、社会の大部分の構成員は1〜3の「形式的・社会的規範」によって行動しています。これによって社会は「一人ひとりが毎回『車が来ているか』を高度に思考しなくても、全体として事故や混乱を低減できる」という認知コストの削減(自動化)を実現しています。
しかし、4の「機能的・実質的合理性」を基準とする認知スタイルでは、システム(信号)の存在目的(衝突の回避)と現在の状態(車の有無)の間に整合性があるかを常にチェックします。
形式主義の思考:「赤信号である →したがって止まる」
機能主義の思考:「赤信号の機能は車との衝突回避である→現在、車は存在しない→したがって停止の機能的理由は存在しない(ただし、社会的な摩擦や監視カメラなどの二次元リスクが存在するため現実には止まる)」
このように、「記号やルールの形式」を飛び越えて、「そのルールが回避しようとしている物理的・決定論的な実体」を直接捉える視点こそが、先ほどの「穿った見方」の正体です。
3. この認知スタイルが制度解剖において持つ意味
この「形式を排して実質を見る」という思考パターンは、法制度や金融・税制を理解する上で極めて強固なアドバンテージとなります。
世の中の法律や税制の多くは、この「赤信号」と同様に、特定の目的(税収の確保、特定の経済行動の誘導、過度なリスクの制限など)のために、国が人工的に作り出した「形式的な境界線(記号)」に過ぎません。
形式しか見ない人は、「法律で決まっているから」「そういうルールだから」と丸暗記して思考を停止します。
実質を見る人は、「このルール(赤信号)は、システム全体のどの機能不全を防ぐために設計されたのか?」「車(実質的な不利益)が通っていないタイミングで、形式だけが残っているゾーン(制度の目詰まり・歪み)はどこか?」という視点から制度を観察します。
「形式的なルール」と「実質的な機能」の間にズレ(ミスマッチ)が生じているポイントを見抜くことこそが、まさに「人が気付かないことに気付く」という現象のカラクリと言えます。

